日本のラーメン文化を語る上で絶対に外せないのが、名店と二人三脚で独自の麺文化を築き上げてきた「有名製麺所の評判とこだわり」です。
その筆頭が、横浜家系ラーメンの総本山『吉村家』と共に歩んできた東京都大田区の「酒井製麺」です。酒井製麺と家系ラーメンの経緯は、まさに日本の麺づくりの歴史における生きた伝説といえます。
1974年、吉村家の創業者である吉村実氏が横浜・新杉田の地で家系ラーメンを立ち上げた際、スープの強烈な豚骨醤油と鶏油に拮抗できる麺を求めて門を叩いたのが、当時うどんや中華麺を手掛けていた酒井製麺でした。吉村氏の過酷な要求に応えるべく試行錯誤を重ねて完成したのが、平打ち気味で短く切り落とされた特注の中太ストレート麺です。
この麺は「逆切り(麺帯の厚みよりも切刃の溝幅を狭くして切り出す特殊技法)」と呼ばれる技法で作られており、麺の側面に微細なざらつきが生まれます。さらに、一般的なラーメン麺が30cm前後の長さを持つのに対し、酒井製麺の家系特注麺は約20cm前後と極端に短くカットされています。これは、労働者たちが熱々の濃厚スープを啜る際、スープが飛び散らずに一口で頬張れるように計算された、現場叩き上げの機能美でした。
現在でも、酒井製麺の「特注杉印」と呼ばれる最上位クラスの麺は、吉村家直系店や歴史ある一部の本格派店舗にしか供給されない「門外不出」の契約を守り続けています。暖簾分けや系列店の証として製麺所の麺箱が店先に誇らしげに掲げられる文化は、この酒井製麺と家系の絆から定着したものです。
同様に、東京・浅草の「浅草開化楼」は、カリスマ製麺技能士・不死鳥カラス氏の手によって、2000年代の「極太つけ麺ブーム」を巻き起こした伝説の麺「開化楼特製極太麺」を世に送り出しました。それまで誰も口にしたことのなかった、うどん並みの太さを持つ剛麺は、『六厘舎』などのメガヒットを支え、つけ麺の概念を塗り替えました。また、北海道の「西山製麺」が開発した多加水の熟成黄色縮れ麺は、札幌味噌ラーメンの代名詞として全国へ広がり、京都の「宝産業」や埼玉の「カネジン食品」など、各地の名門製麺所が職人たちの飽くなき理想を支え続けています。