この甘美なクリームがなぜ「シャンティ」と呼ばれるようになったのか。そのルーツは、パリの北約50キロメートルに位置する名城、シャンティイ城(Château de Chantilly)に深く結びついています。17世紀、太陽王ルイ14世の従兄弟にあたる大コンデ公ルイ2世・ド・ブルボンが居城としたこの城は、豪奢を極めた宮廷文化の発信地として名を馳せていました。
食文化史において広く語り継がれているのが、シャンティイ城の給仕長(メートル・ドテル)を務めた伝説の料理人、フランソワ・ヴァテール(François Vatel)の逸話です。1671年4月、ルイ14世を迎えて催された3日間にわたる国家規模の祝宴において、客人の多さに対して十分な生クリームが集まらなかった際、ヴァテールが生クリームを激しく泡立てて体積を倍増させ、砂糖と香料を加えて振る舞ったのが始まりだという伝承が残されています。のちに魚の納入遅延を苦に命を絶ったヴァテールの悲劇的な生涯は映画化もされ、このエピソードを世界中に広める契機となりました。
しかし、近年の歴史考証やフランス食文化研究所の文献調査によると、甘味を加えた泡立てクリームの製法自体は、16世紀半ばのイタリア・フィレンツェ(カトリーヌ・ド・メディシスの輿入れ以前)の文献「ネーヴェ・ディ・ラッテ(ミルクの雪)」にも類似の記述が見られます。シャンティイ城で供されたクリームが決定的に優れていたのは、敷地内に併設された模範農場「アモー・ド・シャンティイ」の乳牛から搾られた極めて鮮度と脂肪分の高い生乳を使用していた点です。
実際に「クレーム・シャンティ」という固有名詞が文献に定着したのは18世紀後半、ルイ5世ジョセフ・ド・ブルボンの時代とされています。城の離宮で供されたクリームの白さと軽やかさ、気品ある甘みがヨーロッパ中の王侯貴族を魅了し、「シャンティイ城のあの素晴らしいクリーム」という賞賛がそのまま代名詞として定着しました。単なる技術的発明ではなく、優れた酪農環境と貴族社会の洗練された美意識が融合した結果として誕生した文化遺産なのです。