大和朝廷が吉備国へ討伐軍を派遣した背景には、単なる治安維持にとどまらない強烈な経済的・軍事的動機が存在していました。それが「鉄」の利権です。
古代において、鉄は農具による生産力向上だけでなく、刀剣や甲冑など軍事力を左右する最重要戦略物資でした。当時、現在の岡山県新見市や高梁市周辺は日本有数の砂鉄・鉄鉱石の産地であり、吉備国は朝廷を凌駕するほどの製鉄技術と経済規模を誇っていました。造山古墳(岡山市)や作山古墳(総社市)といった全国屈指の巨大前方後円墳が吉備の地に築かれている事実が、その圧倒的な国力を証明しています。
大和朝廷にとって、西の要所に位置し、独自の海上交通網と最先端の製鉄集団を抱える吉備国は、喉元に刺さった巨大な棘でした。第10代崇神天皇の時代、朝廷は四道将軍の一人として皇族の「吉備津彦命(きびつひこのみこと)」を吉備へ派遣します。これが、後世に「桃太郎」として寓話化される討伐作戦の幕開けです。
桃太郎が鬼ヶ島から持ち帰った「金銀財宝」「隠れ蓑」「打ち出の小槌」の正体は、吉備の地で精錬されていた高純度の鉄インゴット(鉄鋌)や製鉄用具、そして高度な技術そのものであったという解釈が、現代の歴史学および経済史において定説となりつつあります。