俳優・岸部一徳の名を決定づけたのは、1990年に公開された小栗康平監督の映画『死の棘』である。島尾敏雄の同名小説を原作としたこの作品で、彼は狂気に陥る妻(松坂慶子)と向き合う主人公の作家役を熱演。カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した本作において、岸部自身も日本アカデミー賞最優秀主演男優賞をはじめとする数々の映画賞を総なめにした。
かつてGSの頂点で歓声を浴びていた男が、息をのむような静寂と精神的緊張が支配する文芸映画で頂点に立った瞬間だった。劇中で見せた、静かでありながら狂気と隣り合わせの哀愁を漂わせる佇まいは、「元ミュージシャンの転身」という先入観を完全に打ち砕き、日本映画界になくてはならない屈指の名優としてのポジションを不動のものとしたのである。