江戸歌舞伎の荒事のような派手な見得とは一線を画し、人間の業や弱さ、生活の匂いをしっとりと描き出すのが上方歌舞伎の真骨頂である。孝太郎の女方は、まさにその神髄を体現している。
仕草ひとつのなかに、女の情念や諦念が浮かび上がる。ただ美しく着飾るだけの「人形」ではない。息遣いがあり、温度がある。武家社会の厳格な掟に翻弄される姫君であれ、町人の娘であれ、彼の演じる人物には生身の人間の痛みが通っている。観る者はいつの間にか、数百年前の物語に自分自身の感情を重ね合わせてしまうのだ。
「型」を守りながらも「型」に溺れない。父から叩き込まれた美意識を土台にしつつ、現代の劇場空間でいかに観客の胸を打つかを常に問い直す姿勢が、彼の舞台を瑞々しいものにしている。