ネット上で毎年初夏になると巻き起こる「栗の花の匂い=精液の臭い」という言説は、単なる心理的な錯覚や下世話な都市伝説ではありません。化学分析の視点から検証すると、両者には全く同一系統の揮発性化学成分が含まれているという揺るぎない事実が判明しています。
人間の精液特有の生々しいアルカリ臭やカルキ臭の主成分は、アミノ酸の代謝過程で生成される「スペルミン(spermine)」や「スペルミジン(spermidine)」と呼ばれる塩基性の低分子ポリアミン、ならびに環状アミン化合物である「ピロリン(pyrroline)」です。これらは生体組織の細胞分裂や核酸の安定化に不可欠な物質であり、動物の体液や精液中に高濃度で蓄えられています。
植物化学の研究データによれば、栗の花、とりわけ枝先から無数に垂れ下がる白黄色の雄花序(ゆうかじょ)の内部組織において、これらスペルミンやピロリン誘導体が高密度で生合成され、大気中に揮発していることが確認されています。私たちの鼻腔内にある嗅覚受容体は、空気中に漂う分子の幾何学的構造と官能基を精密に識別するため、栗の花から放散されたアミン類を感知した瞬間、脳が「動物の体液や精液の匂い」と全く同じシグナルとして処理してしまうのです。俗説として語られがちな「イカ臭い」「生臭い」という感覚も、トリメチルアミンなどの関連アミン類が複雑に混ざり合っていることに起因しています。