西南戦争で西郷隆盛はなぜ挙兵したのか?大久保利通との確執と最期の真相

西南戦争で西郷隆盛はなぜ挙兵したのか?大久保利通との確執と最期の真相

西南戦争で西郷隆盛はなぜ挙兵したのか?大久保利通との確執と最期の真相について専門的な視点から解説いたします。専門家の見解をご覧ください。

明治10年9月24日未明、政府軍による総攻撃が開始され、城山の戦いは終幕を迎えます。西郷隆盛は洞窟を出て岩崎谷へ進む途中、政府軍の銃弾を右太ももと腹部に受け重傷を負いました。

西郷は正座して襟を正し、介錯を務めた愛弟子の別府晋介に向かって静かに告げました。

「晋どん、もうここらでよか」

別府は「ご免なっし」と叫んで太刀を振り下ろし、西郷は自刃を遂げました。この時、西郷の首級(首)は敵の手に渡ることを防ぐため、従者の菊池央によって素早く持ち去られ、近くの溝に埋められました。

戦後、「西郷の首がない」「実はロシアへ逃亡したのではないか」という生存説(西郷星の伝説など)が民衆の間で流布しましたが、これは完全な誤解です。首級は当日のうちに政府軍によって発見され、泥を洗い清められた後、総指揮官である山縣有朋のもとで丁重に首実検が行われました。山縣はかつての盟友の変わり果てた姿に涙を流し、深々と一礼したと記録されています。

鈴木 陽菜
著者

鈴木 陽菜

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