これほど大規模な陣容を誇りながら、なぜ警察は「かい人21面相」を追い詰めることができなかったのでしょうか。捜査関係者の回顧録やジャーナリストの調査報道により、当時の警察組織の機能不全と初動の連携ミスが浮き彫りになっています。
最大の要因とされているのが、府県警察の「縄張り意識と縦割り構造」です。事件は大阪府警、兵庫県警、京都府警、滋賀県警などの管轄をまたいで展開されました。1984年11月、ハウス食品事件で名神高速道路の草津パーキングエリア付近に現れた不審車(のちに犯人グループの車両と判明)を滋賀県警のパトカーが追跡しながら、他府県警との連絡不備や現場判断の遅れにより職務質問できず逃亡を許した事案は、最大の痛恨事として記録されています。
1985年8月、この失態の責任を重く受け止めた滋賀県警の山本昌二本部長が退職当日に焼身自殺を遂げるという痛ましい悲劇が起きました。その直後、かい人21面相から「くいもんの 会社 いびるの もう やめや…くいもんや ゆるしたる」という事実上の「終息宣言」が届き、犯行グループは忽然と姿を消しました。
その後も必死の捜査が続けられたものの、物証の少なさやDNA鑑定技術が未発達だった時代背景も重なり、1994年に江崎社長誘拐事件の身代金目的略取罪が時効を迎え、2000年2月13日、すべての青酸入り菓子ばら撒き事件に関する殺人未遂罪の公訴時効が成立しました。