前方後円墳とは、主に3世紀中頃から6世紀末にかけて日本列島で築造された、円形と方形が一体化した大型の墳墓を指します。上空から見ると柄鏡や鍵穴のような形をしており、丸い部分を「後円部」、突き出た四角い部分を「前方部」と呼びます。
被葬者が眠る埋葬施設は基本的に後円部の中央に設けられており、こちらが墳墓としての本体です。一方の前方部は、埋葬後の追悼儀礼や権威を示すための祭壇として発達したと考えられています。円形と方形という異なる図形を組み合わせた背景には、中国古代の「天円地方(天は丸く、地は四角い)」という宇宙観の影響や、在来の弥生墳丘墓が儀礼の高度化に伴って拡張された結果など、複数の学説が存在します。
外周には周濠(しゅうごう)と呼ばれる堀が巡らされ、墳丘の斜面には石を敷き詰めた「葺石(ふきいし)」、平坦面には「埴輪(はにわ)」が並べられました。当時の姿は現在の緑豊かな森とは異なり、白く輝く石のピラミッドのような圧倒的なモニュメントでした。