今いくよ・くるよの二人の出会いは、京都明徳高校(現・明徳高校)のソフトボール部に遡ります。いくよさんがキャプテンでピッチャー、くるよさんがキャッチャーという女房役のバッテリーを組んでおり、高校時代には国体(国民体育大会)にも出場するほどの実力を誇っていました。グラウンドで培われた阿吽の呼吸と強靭な体力、上下関係に対する徹底した礼儀作法は、後の修業時代において最大の武器となります。
高校卒業後、二人は一度民間の一般企業へ就職し、OLとして社会人生活を送っていました。しかし、漫才への情熱を断ち切れなかった二人は、当時京都花月などの寄席で圧倒的な人気を誇っていた島田洋之介・今喜多代の楽屋を直接訪ね、弟子入りを直訴します。
当時の演芸界において、若い女性がコンビで弟子入りを志願することは前代未聞の出来事でした。喜多代師匠は最初、「女の子が芸人になるなんて苦労するだけや。普通の幸せを掴みなさい」と厳しく諭し、門前払いを繰り返したといいます。しかし、二人は諦めることなく劇場へ通い詰め、熱意を伝え続けました。その熱意と、体育会系仕込みの礼儀正しい挨拶に心を動かされた洋之介・喜多代夫妻は、ついに正式な入門を許可したと伝えられています。