平塚らいてうは何をした人?青鞜創刊と法改正を成し遂げた軌跡を解説

平塚らいてうは何をした人?青鞜創刊と法改正を成し遂げた軌跡を解説

平塚らいてうは何をした人?青鞜創刊と法改正を成し遂げた軌跡を解説について分かりやすく解説いたします。最新の情報をご確認ください。

平塚らいてうが残した数多の業績の中で、日本の歴史を決定的に前進させた功績は大きく分けて3つ存在します。彼女の活動は「言論による意識改革」から始まり、「法制度の変革」、そして「社会保障と平和への希求」へと進化を遂げました。

1つ目の功績は、1911年(明治44年)における雑誌『青鞜』の創刊です。それまで男性主導の言論界において、女性自身の手で女性の才能や苦悩、社会への疑問を自由に発表する場は存在しませんでした。創刊号の巻頭を飾った「元始、女性は太陽であった」の宣言文は、封建的な「家制度」のもとで従属を強いられていた女性たちに雷鳴のような衝撃を与え、日本における近代フェミニズム運動の嚆矢となりました。

2つ目の功績は、1919年(大正8年)に結成した新婦人協会の活動と「治安警察法第5条」の改正です。当時の法律では、女性が政党に入党することはおろか、政治演説会を傍聴・参加することすら禁止されていました。らいてうは市川房枝や奥むめおと共に署名集めや議会への直接請願を展開し、1922年(大正11年)に政治集会への参加禁止規定を撤廃させました。これが、戦後の女性参政権獲得へ続く歴史の突破口となったのです。

3つ目の功績は、「母性保護」の概念を社会問題として定着させたことです。大正期に与謝野晶子らと交わされた論争を通じ、「国家や社会が妊娠・出産・育児を支えるべきである」という福祉的な視点を提示しました。戦後は日本婦人団体連合会の初代会長に就任し、国際平和運動や日本国憲法第9条の擁護運動を主導するなど、人権と平和の旗手として生涯を捧げました。

山下 哲也
著者

山下 哲也

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。