大阪市東淀川区で育ち、大阪府立桜塚高校を経て同志社大学法学部に進学した百田氏。名門私大のエリート街道を進むかと思われた彼の運命を大きく狂わせた(あるいは切り拓いた)のが、当時関西地区で絶大な人気を誇っていた朝日放送の恋愛バラエティ番組『ラブアタック!』でした。
この番組は、一般の女子大生「かぐや姫」を射止めるべく、男子学生たちが過酷な競技で激突する視聴者参加型の登竜門。百田氏はここに挑戦者、通称「みじめアタッカー」として複数回にわたり出演します。泥まみれになりながらも圧倒的な弁舌と捨て身のギャグでスタジオの爆笑をかっさらい、やがて番組プロデューサーや視聴者から名前を覚えられる名物男へと上り詰めました。
当時の特番や自著のエッセイで語られた手記によると、この番組出演が後の人生を決定づけることになります。テレビ制作の裏側にある「人を惹きつける熱狂」を肌で体感した百田氏は、もはや法学部の机に向かう気力を失っていました。
「法律の条文を暗記するよりも、街頭の人間をどうやって笑わせ、泣かせるかばかり考えていた」――後に本人がそう回顧した通り、麻雀、読書、ボクシングジム通い、そしてテレビ局への出入りに明け暮れた結果、大学在学5年目にしてついに中退を決断します。親族の猛反対を押し切ってのドロップアウトは、当時の堅実な昭和社会においては完全な無謀の極みでしたが、この規格外の決断こそが放送作家・百田尚樹を誕生させる直接の引き金となったのです。
また、学生時代に夢中になったもうひとつの要素が本格的なボクシングの修業でした。大学時代、プロテスト受験を視野に入れて名門ジムで過酷なスパーリングを重ねていた経歴を持ちます。このときの減量の苦痛、リング上で殴り合う剥き出しの恐怖、そして男同士の魂の交歓という実体験が、30年後に吉川英治文学新人賞候補となったボクシング小説の傑作『ボックス!』における鬼気迫る描写の源泉となったことは、文壇でも広く知られています。