大学卒業後、東京大学法学部の助手となった舛添は、1970年代半ばにヨーロッパへと渡る。フランスのパリ大学現代国際関係研究所や、スイスのジュネーヴ高等国際問題研究所での客員研究員としての生活が始まった。
この留学経験こそが、彼の国際感覚を決定づけた。冷戦下のヨーロッパで、多言語が飛び交う外交の現場を肌で感じた舛添は、日本の「内向きな政治議論」に強い危機感を抱くようになる。フランス語と英語を自在に操り、現地の知識人たちと対等に渡り合う若き日の彼の姿は、まさに新世代の国際政治学者の誕生を予感させるものだった。