小倉百人一首の第2番「春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」は、持統天皇が詠んだオリジナルテキストそのものではありません。その原典は、日本最古の歌集『万葉集』巻一・28番に収められた以下の御製です。
【万葉集 巻一・28番(原歌)】
「春過ぎて 夏来たるらし 白栲の 衣乾したり 天の香具山」
(はるすぎて なつきたるらし しろたへの ころもほしたり あめのかぐやま)
両者を比較すると、第二句「夏来るらし」が「夏来にけらし」に、第四句「衣乾したり」が「衣ほすてふ」へと大胆に変更されていることが分かります。この変化は単なる書き間違いや伝言ゲームの産物ではありません。『新古今和歌集』巻三・夏歌(175番)に採録された段階でこの形へと定着しており、時代の美意識と文学的要請がもたらした必然の変容でした。
古代の『万葉集』における「衣乾したり」は、目の前に白い衣が鮮明にひるがえっている情景をダイレクトに捉えた現場写実(リアリズム)です。そこには古代呪術的なエネルギーと、初夏を迎えた農耕儀礼への直接的な感動が漲っていました。一方、平安末期から鎌倉初期に成立した『新古今和歌集』および百人一首のテキストでは、「衣を干しているという(伝聞)」を意味する「衣ほすてふ」に差し替えられています。現実の生々しさをあえて一段引き、遠く伝説の山を眺めやりながら王朝の雅やかな記憶を追想する「絵画的・幽玄の美」へと昇華させたのです。