中川政七商店の歴史を語るうえで欠かせないのが、事業消滅の危機を乗り越えて断行された歴代社長による構造改革です。江戸中期の創業以来、高級麻織物で幕府の御用商人として栄えたものの、明治維新や戦後のライフスタイル激変によって麻の需要は激減。長らく下請け問屋としての厳しい経営を強いられていました。
大きな転換点を迎えたのは2000年代初頭、13代当主である中川淳氏(現会長)の参画です。当時、業界で常識とされていた中間流通頼みの問屋構造を脱却し、自社で企画・製造・販売を一貫して手がける「工芸版SPA(製造小売業)」への転換を決断。「遊 中川」「粋更 kisara」といった直営ブランドを立ち上げ、全国の主要商業施設へ次々と出店攻勢をかけました。
淳氏は自著や当時の経済番組インタビューにおいて、「産地が滅びてしまえば、問屋である我々も生き残れない。日本の工芸を元気にすることこそが自社の存在意義だ」と語っています。その言葉通り、自社単体の成長にとどまらず、後継者不足や赤字に苦しむ全国の伝統工芸メーカーに対して経営・ブランディング指導を行う「産地再生コンサルティング」を始動。波佐見焼の「HASAMI」をはじめ、瀕死の状態にあった地方窯元や工房を次々と黒字化へ導くという前代未聞の再生モデルを打ち立てました。
その後、2018年には創業家以外から初となる女性リーダー・千石あや氏が14代社長に就任。生活者目線に立った細やかな商品開発とデジタル発信の強化を推進し、伝統の重厚感と親しみやすさを共存させた盤石の組織体制を確立しています。