本作において長年、ファンの間で議論の的となってきたのが、ヒロインのサンと、エミシの村でアシタカを慕っていた少女カヤを、いずれも石田ゆり子が演じている点です。
映画序盤、村を追われるアシタカに対し、カヤは掟を破ってまで大切な「玉の小刀(水晶の小刀)」を形見として手渡します。「いつもいつもカヤは兄様を思っております」と健気に告げる少女。しかし後にアシタカは、その命がけの小刀をサンへとあっさりと譲り渡してしまいます。このシークエンスはネット上でも「アシタカは浮気男なのか」といった論争を巻き起こす定番のトピックとなっています。
スタジオジブリの公式資料や当時の関係者インタビューを紐解くと、この一人二役には演出上の明確な意図が存在していました。宮崎駿監督は「アシタカにとって、自分の故郷に残してきた大切な存在の面影を、運命的にサンの中に見出してしまう」という深層心理の結びつきを、声の質感を通して直感させようとしたのです。
カヤはアシタカの身内・共同体の規律に生きる従順な女性性の象徴であり、サンは自然界の荒々しい理の中で人間を憎み抜く野生の女性性の象徴です。相反する二つの立場を同一の役者・石田ゆり子の声で響かせることで、観客に対しても「どちらもアシタカにとって魂を分かつべき対象である」という無意識のシンパシーを植え付ける構造が緻密に設計されていました。