「覆水盆に返らず」という言葉が誕生した舞台は、紀元前11世紀頃の古代中国(周の時代)に遡ります。この故事の主人公は、釣りの名手としても知られ、後に周の軍師として歴史に名を刻んだ太公望(たいこうぼう/本名:姜子牙・呂尚)です。主な出典は、東晋時代の王嘉が著した説話集『拾遺記(しゅういき)』や、初学者向けの歴史読本として広く読まれた『十八史略』などに記されています。
極貧生活に愛想を尽かして去った妻
若き日の太公望は、仕官も叶わず、定職にも就かずに一日中読書ばかりに没頭していました。時には薪を売りに出かけても本を読むのに夢中で荷物を川に流してしまうなど、世俗的な生活能力は皆無に等しかったと伝えられています。 生活は困窮を極め、日々の食事にも事欠く有様でした。長年連れ添った妻の馬(ば)氏は、夫の将来性に絶望し、度重なる苦痛に耐えかねて「これ以上あなたと暮らすことはできない」と離縁を言い渡して家を出て行ってしまいます。太公望は「いずれ必ず立身出世するから、もう少し待ってほしい」と引き止めましたが、馬氏は耳を貸さずに去っていきました。
大出世を果たした太公望と元妻の再会
その後、太公望は渭水(いすい)のほとりで釣りをしながら機を待ち、周の文王に見出されて最高位の軍師へと大出世を遂げます。周の武王を助けて殷(商)を滅ぼし、斉(せい)の国の領主(諸侯)に封ぜられるという、誰もが羨む栄達を極めたのです。 ある日、太公望が豪華な行列を率いて街を行進していると、みすぼらしい身なりをした一人の女性が行列の前に飛び出してきました。かつて自分を捨てて去っていった元妻の馬氏でした。彼女は太公望の出世を知り、再び妻として迎えてほしいと涙ながらに復縁を懇願したのです。
盆の水を大地にぶちまけた太公望の決断
その姿を見た太公望は、従者に命じて一杯の水が入った器(盆)を持ってこさせました。そして、その水を馬氏の目の前の地面へと豪快にぶちまけたのです。土は瞬く間に水を吸い込み、泥濘へと変わりました。太公望は静かにこう言い放ちました。 「若し覆水を収むるを得ば、便(すなわ)ち復(ま)た相い迎へん。この水を器に戻してみせよ。それができるなら、再びお前を妻として迎えよう」 馬氏は必死になって地面の泥水をすくい集めようとしましたが、手に残るのは泥ばかりで、器には一滴の清らかな水も戻りません。太公望は冷徹に「一度こぼれた水は二度と器には戻らない。お前が私を捨てたことも、これと同じである」と告げ、馬氏の復縁の願いを永久に断ち切りました。 絶望した馬氏は己の愚かさを恥じ、その場を立ち去ったとされています。これが「覆水盆に返らず」の全貌であり、貧困期に相手を信じきれず見限った人間が、成功後にすり寄っても二度と受け入れられないという、極めてシビアな現実を物語るエピソードです。