亀田興毅の現在地を理解するうえで欠かせないのが、日本ボクシング史に刻まれた金字塔と、あまりにも過酷だった現役時代の終焉です。父・史郎氏のスパルタ指導のもと、次男・大毅、三男・和毅とともに「亀田三兄弟」として社会現象を巻き起こした彼は、日本人初となる世界3階級制覇(WBAライトフライ級、WBCフライ級、WBAバンタム級)を達成しました。
生涯通算プロ戦績は35戦33勝(18KO)2敗。数字だけを見れば圧倒的なエリート街道ですが、その足跡は常に凄まじいプレッシャーとバッシングの連続でした。特にWBA世界ライトフライ級王座決定戦(ファン・ランダエタ戦)での判定論争以降、世間からの激しい批判に晒されながらも、リング上では極めてクレバーかつディフェンシブなボクシングを展開し続けました。
そんな彼が引退を決断したのは、2015年10月16日、米国シカゴで行われたWBA世界スーパーフライ級タイトルマッチでした。日本人初となる4階級制覇を懸けて挑んだ王者・河野公平との一戦で、興毅は12回判定負けを喫します。
試合直後の会見で彼は、晴れやかな表情を浮かべながら即座に引退を表明しました。当時の自著や後年の特番インタビューにおいて、彼は引退の真の理由を次のように赤裸々に告白しています。
「試合中、相手のパンチが見えているのに体が反応しなかった。全盛期なら絶対に当たらないパンチをもらってしまう。目のピントを合わせるコンマ数秒のズレ、踏み込みのスピード、すべてにおいて肉体の限界だった。これ以上リングに上がるのは、命を削るだけの作業になる」
日本ボクシングコミッション(JBC)との資格停止問題をめぐる法廷闘争やジム移籍の混乱など、リング外での心労も限界に達していた時期でした。勝負の世界の冷徹さを誰よりも知る彼だからこそ、身体のわずかな変調を逃さず、自らの意志でグローブを置く決断を下したのです。