インターネット上の言説や一般的な人間関係のアドバイスでは「腹を割って本音で話し合おう」「相手の生い立ちや寂しさを理解してあげよう」といった宥和論が散見される。だが、パーソナリティ障害の臨床現場において、このアプローチは火に油を注ぐ最悪の愚策とされる。
第一の誤解は、「本人が自らの問題を自覚し、反省するはずだ」という幻想だ。医療機関の統計や医師の知見でも明らかな通り、彼らが自発的に精神科を受診することは極めて稀である。受診する場合も、周囲との摩擦で孤立した末のうつ症状や適応障害を理由とするケースが大半であり、本質であるパーソナリティの偏りそのものを病気と認めることは拒絶する傾向が強い。
第二の誤解は、「愛や誠意をもって接すれば改心する」という思い込みだ。情や同情を見せれば見せるほど、彼らはそれを「自分の支配が通用した」「何をしても許される」という承認として受け取る。年月が経ち、利用価値がなくなったり反論されたりすると、激しい敵対心をむき出しにして次のターゲットへと移っていく。加齢とともに周囲の人間が次々と離れ、最終的には「他責と孤独に満ちた末路」を迎える事例が後を絶たないが、そこに至るまで自省が促されることは極めて稀なのだ。