美榛苑の閉館に至るプロセスの発端は、昭和54年(1979年)の旧榛原町時代に開設された本館の激しい老朽化でした。耐震基準の抜本的な見直しが必要とされる中、宇陀市は2010年代半ばから施設の延命か建替えかの重大な岐路に立たされていました。泉質の良さから日帰り入浴客は年間十数万人に達していたものの、設備の維持管理費は年々跳ね上がり、市の一般会計からの持ち出しが常態化していたのです。
事態が急変したのは、当時の市長主導で打ち出された「近鉄榛原駅南口への移転・新築構想」でした。山間部にある既存施設から利便性の高い駅前へ移転し、民間活力を導入した複合型温泉ホテルとして再生させるというプランは、一見すると地方創生の起死回生策に映りました。しかし、この構想が宇陀市議会との間で決定的な亀裂を生む引き金となったのです。
市議会側からは「数十億円規模にのぼる総事業費の妥当性」「財政力指数が低迷する宇陀市で過大な起債を背負うリスク」への懸念が噴出しました。さらに、新施設の基本設計や指定管理候補者の選定手続きを巡り、手続きの透明性を問う声が相次ぎました。市長と市議会の対立はエスカレートを極め、予算案の否決、市長に対する不信任決議の可決、そして議会解散から出直し市長選に至るという、前代未聞の政治的混乱へと突入していったのです。