中学・高校時代、演劇の魅力に目覚めた天海祐希は、宝塚音楽学校への進学を強く志すようになります。しかし、芸能界や舞台の世界とは無縁だった父親は、当初宝塚受験に猛反対を示しました。
「普通の生活を送ってほしい」「水物の世界は甘くない」と頑なに拒む父を説得したのは、当時の高校(杉並学院高等学校)で演劇部顧問を務めていた恩師の熱烈な後押しと、天海本人の揺るぎない覚悟でした。
娘の本気を受け止めた父親は、最終的に受験を許可する際、次のような言葉を投げかけました。
「やるからには一番を目指せ。途中で投げ出すくらいなら最初から行くな」
さらに「落ちたら二度と舞台の夢は口にするな」と突き放すような言葉で退路を断ちつつも、その実、娘が厳しい世界で生き抜くための覚悟を試していたのです。この父親の叱咤激励を胸に刻んだ天海祐希は、見事に史上最年少(研7・入団7年目)で月組トップスターに就任という前人未到の記録を打ち立てることになりました。