そもそも生類憐れみの令が制定された理由とは何だったのでしょうか。一般には「綱吉に後継ぎが生まれなかったため、母・桂昌院の意向で戌年生まれの綱吉が犬を大事にした」という俗説が有名ですが、幕府の公式記録である『徳川実紀』や当時の町触れを精査すると、本質は全く異なります。
当時、江戸の街にはまだ戦国時代の名残である「辻斬り」や「人命軽視」の荒涼とした風潮が色濃く残っていました。飢饉が発生すれば路上に行き倒れが放置され、貧困による捨て子や高齢者の遺棄が日常茶飯事だったのです。綱吉が目指したのは、儒教の「仁(思いやり)」の精神を行政規範に落とし込み、人命を何よりも尊重する社会秩序の構築でした。
法令の対象は動物だけでなく人間全般に及んでおり、その内容は極めて多岐にわたります。
- 捨て子の禁止と養育義務:捨て子を発見した者は役所に届出を行い、里親が見つかるまで地域で養育することを義務付け。
- 行き倒れ・病人の保護:旅先で病気になった者を見捨てることを禁じ、宿場町ごとに救護所を整備。
- 高齢者の戸籍管理:身寄りのない高齢者を登録し、地域社会で扶養するセーフティネットの確立。
- 過剰な動物虐待の禁止:馬に過重な荷物を積ませることの禁止や、犬や猫の遺棄防止。
このように、生類憐れみの令の内容をわかりやすく整理すると、治安維持と社会保障を融合させた「江戸幕府初の社会福祉基本法」とも呼ぶべき画期的な試みでした。