PL学園の歴史を語る上で絶対に外せないのが、1983年に揃って入学した桑田真澄と清原和博の「KKコンビ」です。1年生の夏に甲子園初出場・初優勝を果たすと、3年間で春夏連続計5回の甲子園すべてに出場し、優勝2回・準優勝2回という不滅の大記録を樹立しました。
清原が放った甲子園通算13本塁打、桑田の甲子園通算20勝はいずれも戦後最多記録であり、現在も破られていません。1985年秋のドラフト会議において、早稲田大学進学を表明していた桑田が巨人から単独1位指名を受け、巨人熱望だった清原が涙を呑んで西武へ入団した「ドラフト狂騒曲」は、昭和スポーツ史最大のドラマとして今なお語り草となっています。
KK時代に続き、1987年にキャプテンとしてチームを牽引し、史上4校目となる甲子園春夏連覇を達成したのが立浪和義です。厳しい規律と徹底された礼儀作法が根付くPL学園寮(研志寮)において、立浪が見せたリーダーシップと精神力は「PL史上最高の主将」と称賛され、中日ドラゴンズ入団1年目からレギュラーを掴んで新人王とゴールデングラブ賞を獲得しました。
さらに1990年代には、卓越した身体能力で遊撃手としてトリプルスリー(打率3割・30本塁打・30盗塁)を達成した松井稼頭央や、高校生野手としてドラフト史上最多タイの7球団競合を記録した福留孝介が登場。彼らはメジャーリーグの舞台でも主力として活躍し、PL戦士のポテンシャルの高さを世界に証明しました。
そして2000年代、名門の看板を背負って現れたのが前田健太です。高校時代、1年夏から甲子園のマウンドを経験し、3年春にはチームをセンバツ4強へ牽引。投手としての圧倒的な球威と制球力に加え、高校通算27本塁打を記録するなど打撃センスも抜群でした。2006年高校生ドラフト1巡目で広島東洋カープに入団後、沢村賞を2度受賞し、メジャーリーグへと羽ばたいた前田の軌跡は、PL学園が送り出した最後のメガエースとしての威厳に満ちています。