学問の出発点からして、彼は規格外だった。荷田春満、賀茂真淵、そして本居宣長。近代以降に「国学四大人」と称される偉人たちの系譜において、彼ほどアグレッシブな後継者はいなかっただろう。偉大なる先達・本居宣長が没したまさにその年、篤胤は宣長の夢を見たと主張する。「夢の中で直接教えを受け、後継者として認められた」という破天荒な言説は、当時の知的な常識からすれば暴論以外の何物でもなかった。
だが、その強引な突破力こそが彼の真骨頂だ。宣長の緻密な文献実証主義を継承しながらも、篤胤は古代の文献解釈にとどまることを潔しとしなかった。主宰した私塾「気吹舎」には、武士だけでなく豪農、町人、神職、果ては名もなき民衆までもが雪崩を打って入門した。難解な古典を誰もが直感的に理解できる平易な言葉へ翻訳し、日常の労働や生活と結びつける。学術の民主化と呼ぶべき地殻変動を、彼は独力で巻き起こしていった。