東大法学部在学中に司法試験に合格し、社会党系の弁護士としてキャリアをスタートさせた彼は、本質的に「法の支配」と「権力の限界」を知り尽くした男だった。だからこそ、政権を取った後に官僚機構をどう手なずけ、どう利用すべきかを冷徹に見極めていた。「赤い官僚」という異名は、彼の左派的な出自と、官僚以上に官僚的な冷徹さで政策を執行する姿勢に対する、畏怖と嫌悪の入り混じった評価だった。
彼は「政治主導」を掲げながらも、官僚を単に排除するのではなく、その専門知識を徹底的に吸い上げて政治の道具として使いこなそうとした。このリアリズムこそが、理想論ばかりが先行して自壊していった民主党政権の中で、彼を唯一無二の「実務家」たらしめた理由である。