日本建築の伝統的な格言に「木は木表を使え」という教えがあります。床柱や長押(なげし)、天井板など、人の視線が集まる場所には、木目が美しく光沢に富む木表を向けるのが美意識としての鉄則でした。しかし、熟練の棟梁や職人が遺した技術書や現場の証言を検証すると、彼らは特定の部位において「あえて意図的に木裏を採用する」という明確な工学的判断を下しています。
その代表例が、建具を滑らせる「敷居(しきい)」と「鴨居(かもい)」の加工です。建具職人や大工の証言によれば、敷居の溝を彫る上面には、例外なく木裏を用います。ここには2つの構造的理由が隠されています。
第一の理由は、「反りによる建具の開閉障害の防止」です。もし敷居の上面に木表を使ってしまうと、板の両端が上に向かって反り返ります。すると、建具の溝が両端から挟み込まれる形となり、引き戸が固くて動かなくなったり、建具が外れなくなったりする致命的な狂いが生じます。これに対して木裏を上面にしておけば、板の中央がわずかに盛り上がる凸状の変形を見せます。中央がわずかに盛り上がる程度であれば、建具との接触抵抗を最小限に抑えられ、カンナで中央を軽く削り落とすだけで容易に補修ができるのです。
第二の理由は、「目浮き(めうき)による怪我と摩耗の防止」です。木表は、年輪の柔らかい春材と硬い秋材が層状に重なっており、長年人の足で踏まれたり建具の戸車が往復したりすると、年輪の境目がめくれ上がって「ささくれ(目浮き)」が発生します。これが素足に深く突き刺さる事故は、古くから大工がもっとも恐れた瑕疵の一つでした。対して木裏側は年輪が逆方向に押さえ込まれているため、摩耗しても繊維が層ごと剥離しにくく、滑らかな表面が維持されるのです。鴨居においても同様に、建具が外れて落下する危険を防ぐため、溝面には木裏が使われます。
また、階段の「踏板(ふみいた)」の選定においても、大工は木裏を上に配置します。木表を上にして中央がへこむと、踏み込んだ際に不安定になり、先端の角(段鼻)が跳ね上がってつまずき事故を誘発するリスクがあるためです。安全第一の構造部位において「木裏を使う決定的な理由」は、力学的な安全性と人身事故防止という実用本位の計算に基づいています。