僕たちがやりました結末の真相|ドラマと原作の決定的な違いとは

僕たちがやりました結末の真相|ドラマと原作の決定的な違いとは

僕たちがやりました結末の真相|ドラマと原作の決定的な違いとはの注目ポイントを丁寧に掘り下げてご紹介します。

本作が数ある逃亡劇やクライムサスペンスと決定的に一線を画すのは、トビオたちが辿り着いた「罰」の定義にあります。通常のドラマであれば、真実を公表して刑務所に収監されるか、逃亡の末に命を落とすことが物語の幕引きとなります。しかし、トビオに突きつけられた現実は、そのどちらでもありませんでした。

刑事の飯室(三浦翔平)が放った呪詛の言葉通り、トビオは事件から10年が経過した世界で、社会的な制裁を受けることなく普通に生活しています。ドラマ版のラストシーン、居酒屋のアルバイトとして同僚や客と笑い合い、「今、幸せかもしれない」と感じた刹那、トビオの脳裏に爆風で吹き飛んだ犠牲者たちの血まみれの顔がフラッシュバックします。

「あ、死にたい」

この独白こそが、本作が到達した結論です。心理学における「サバイバーズ・ギルト(生き残った者の罪悪感)」を遥かに超え、自身が加害者である事実を隠蔽して手に入れた平穏は、幸福を感じれば感じるほど自己の存在を激しく否定する猛毒へと変わります。自殺して楽になることすら許されず、死ぬほどの恐怖を抱えながら、ただ無為に日常を呼吸し続けなければならない。「生きることそのものが最大の刑罰である」という実存的な絶望が、冷徹な筆致で描かれました。

パイセンの父親・輪島宗十郎という「理不尽な絶対権力」

この地獄を構造的に強固なものにしたのが、パイセンの父親である裏社会のフィクサー・輪島宗十郎(古田新太)の存在です。トビオたちが必死の思いで警察に自首しようとしても、輪島の財力と政治力によって事件は「別のテロ組織の仕業」として処理され、彼らの自白は単なる未成年者の狂言として握りつぶされます。

自分たちが背負おうとした罪の責任すら、巨大な資本と権力によってゴミのように捨てられる無力感。少年期特有の「世界は自分たちを中心に回っている」という万能感は、輪島という大人の怪物を前にして木っ端微塵に粉砕されました。自首すら許されない閉塞感こそが、彼らを永遠の精神的懲役へと幽閉したのです。

阿部 裕樹
著者

阿部 裕樹

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。