エカチェリーナ2世の死因の真相とは?愛人伝説と夫追放の波乱劇を徹底解説

エカチェリーナ2世の死因の真相とは?愛人伝説と夫追放の波乱劇を徹底解説

エカチェリーナ2世の死因の真相とは?愛人伝説と夫追放の波乱劇を徹底解説の真相について、最新情報を基に徹底解説します。

インターネット上やゴシップ本では、エカチェリーナ2世の死因に関して「愛馬との性行為中に天井の滑車が外れて圧死した」「巨大な身体のせいでトイレの便座が壊れて落下死した」といった奇怪な噂がまことしやかに語られることがあります。しかし、これらは歴史的事実と完全に矛盾する悪質なデマです。

帝室宮内府の公文書および侍医の公式記録によれば、1796年11月5日(ロシア暦)、エカチェリーナ2世は冬宮の私室内にある化粧室で脳卒中を発症して倒れているところを発見されました。意識不明の重体に陥り、翌11月6日(グレゴリオ暦11月17日)の夜、67歳で静かに息を引き取っています。

なぜこのような荒唐無稽な都市伝説が広まったのか。背景には二つの要因が存在します。

  • 反露プロパガンダ:フランス革命に激しく敵対したエカチェリーナを嫌悪したフランス王党派や共和派の言論人が、彼女の道徳的権威を失墜させるために下品な中傷パンフレットを欧州全土にばら撒いたこと。
  • 後継者パヴェル1世による名誉毀損:母を激しく憎悪していた息子パヴェル1世が即位直後、母の側近を排除し、母の業績を貶める宮廷内の言動を黙認・助長したこと。

稀代の女帝に対する死後のスキャンダルは、強大すぎる女性指導者に対する当時の男権社会の恐怖と偏見が生み出した産物であったと言えます。

中島 亮太
著者

中島 亮太

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。