日本サッカー界における10番の歴史もまた、歓喜と苦悩が交錯するドラマの連続であった。サッカー日本代表歴代10番の歩みは、そのまま日本代表がアジアのチャレンジャーから世界の強豪へと脱皮していく進化の歴史と軌を一にしている。
黎明期の日本代表において、10番の基準を作ったのはフリーキックの名手・木村和司であり、Jリーグ草創期を牽引したラモス瑠偉であった。彼らは「チームの心臓」として精神的支柱を務め、プレーの全選択権を握っていた。1998年フランスW杯出場権を勝ち取った「ジョホールバルの歓喜」では名波浩が左足の精密な配球で中盤を支配し、続く2000年代には中村俊輔がその黄金の左足で世界の度肝を抜いた。
中村俊輔が背負った10番は、美しい軌道を描くプレースキックとともにファンの記憶に深く刻まれているが、当時は中田英寿(7番)との共存や、ジーコジャパンにおける役割分担を巡り、メディアやサポーターから苛烈な重圧を受け続けた歴史でもあった。その後、南アフリカW杯以降はザッケローニ体制で香川真司が10番を継承。ボルシア・ドルトムントやマンチェスター・ユナイテッドで躍動する「バイタルエリアの魔術師」としてアジアカップ制覇に貢献したが、2014年ブラジルW杯でのグループリーグ敗退など、背負うものの重さに苦悶する姿もピッチに残された。
森保一監督体制以降は南野拓実がゴール前での決定力を武器に10番を背負い、チームの世代交代を推進した。そして北中米ワールドカップを迎える日本代表10番現在2026のフェーズにおいて、象徴的な存在として中核を担うのが堂安律らである。背番号10番の役割は「前線のパサー」から「強烈な球際と守備強度を備え、勝負どころで自ら試合を決めるタフなリーダー」へと完全にシフトした。
堂安自身、メディアの取材に対して「10番はただ上手い奴がつける番号じゃない。チームが苦しい時に一番走って、一番声を出して、泥臭くゴールを奪う覚悟の証」と公言している。華麗なテクニックだけでなく、メンタリティでチームを牽引する現代的な闘将スタイルこそが、2026年現在のサムライブルーにおける10番の真髄である。