服部氏の他界後、大竹しのぶさんと二千翔さんの前に現れたのが明石家さんまさんでした。二人は1986年の大ヒットドラマ『男女7人夏物語』での共演を機に親交を深めており、服部氏が生前、さんまさんに対して「しのぶと子どもを頼む」と遺言とも取れる言葉を託していたというエピソードは、芸能界の語り草となっています。
1988年、大竹しのぶさんと明石家さんまさんは結婚。二千翔さんが3歳のとき、さんまさんは二千翔さんの継父となりました。翌1989年には異父妹となるIMALUさんが誕生します。
この家庭環境において、さんまさんが徹底して守り抜いた独自の教育方針がありました。それが、二千翔さんに決して自分のことを「お父さん」と呼ばせなかったことです。
当時、まだ物心がついて間もない二千翔さんに対して、さんまさんは「お前の本当の父親は服部晴治という立派な男だ。俺はお前の父親にはなれないが、男同士の最高の相棒にはなれる」という敬意を込め、自身を「ボス」と呼ばせました。この呼び方は、子ども心に実父への罪悪感を抱かせないための、さんまさん流の深い配慮と愛情の表れでした。
1992年にさんまさんと大竹しのぶさんは離婚に至りますが、二千翔・さんまの親子関係はそこで途切れることはありませんでした。離婚後も二千翔さんは折に触れてさんまさんの自宅に泊まりに行き、進路相談や将来の悩みを打ち明けるなど、血の繋がりを超えた師弟であり相棒のような結びつきが今日まで続いています。