教育現場やSNSの古典コミュニティでは、芥川の解釈を巡ってしばしば興味深い議論が巻き起こります。現代人が陥りがちな最大の誤解は、「男は女を放ったらかしにして自分だけ助かろうとしたのではないか」という臆病説や、「本当に妖怪が出たスプラッターホラーである」という短絡的な受け止め方です。
誤解1:男は戸口で保身を図っていたのか?
本文を精読すると、「男、弓・胡簶を負ひて、戸口に居り。はや夜も明けなむと思ひつつ居たりける」とあります。平安時代の弓矢は武官や防人の象徴的武器であり、男は女を安全な蔵の奥に匿い、自らは雷雨吹き荒れる吹きさらしの戸口で外敵を警戒し続けていました。つまり、男は保身どころか命を投げ打って女を警護していたのです。それにもかかわらず、荒れ屋の後方や隙間から侵入した追手(鬼)に気づけなかったという痛恨の油断が、のちの「足ずりをして泣けども」という激しい自責の念へと繋がっています。
誤解2:草の露を「白玉」と聞いた女は愚かだったのか?
「草の露を見て、かれは何ぞとなむ男に問ひける」という場面に対し、現代の感覚では「露すら知らないのは不自然だ」と感じる読者も少なくありません。しかし当時の上流貴族の姫君は、深層の殿舎から一歩も外に出ず、日光や外気に触れることすら稀な箱入り娘として育てられました。この問いかけは、女の無知を嘲笑する描写ではなく、世俗に一切穢れていない高貴な純真無垢さを象徴しており、だからこそ男にとって彼女の喪失が一層の悲痛さとなって胸に刺さるのです。