ジャンヌの悲劇を語る上で避けて通れないのが、フランス国王となったシャルル7世見殺しの真相です。彼女のおかげでランス大聖堂での戴冠を果たし、正統なフランス王としての威信を手に入れたシャルル7世ですが、ジャンヌが捕らえられた報せを受けても、身代金の提示や捕虜交換の打診、あるいは救出作戦を展開した公的証拠は一切残されていません。
なぜ国王は救国の英雄を見殺しにしたのか。当時の宮廷内部では、ジャンヌの急激な台頭を快く思わない宮廷侍従長ジョルジュ・ド・ラ・トレモイユら既得権益層による陰湿な牽制が働いていました。彼らにとって、国王直属の軍事指導者として民衆の熱狂的支持を集めるジャンヌは、制御不能な危険分子に他ならなかったのです。
さらに、シャルル7世自身も「宗教的狂信によって突き進む少女」に依存し続けるリスクを恐れ始めていました。和平交渉による外交的決着を望んでいた側近たちにとって、主戦論を唱えてパリ奪還を強行しようとするジャンヌは外交戦略上の障害物と化していたのが冷厳な政治力学でした。
イングランド側が支払った1万リーヴルという破格の身代金に対抗し、シャルル7世が国庫を開いて彼女を買い戻す意思を示さなかった事実は、王権の冷淡さを象徴しています。「神の恩寵」によって自らの地位を固めた権力者が、用済みとなった象徴をあっさりと切り捨てる構図は、時代を超えて繰り返される権力構造の闇そのものです。