インターネット上の掲示板やSNSでは長年、「1988年のソウル五輪で鈴木大地がバサロで金メダルを獲ったため、欧米が悔しがって日本潰しのルール改定を行った」という言説がまことしやかに語り継がれてきました。しかし、一次資料や当時の報道記録を精査すると、この説は歴史的事実とは異なる俗説であることが分かります。
潜水泳法を極限まで押し上げた真の震源地は、米国のデビッド・バーコフ(David Berkoff)でした。バーコフは自らの潜水キックを「バーコフ・ブラスト」と名付け、スタートから35メートル以上も水中に潜る特異なスタイルを確立。ソウル五輪の直前には世界記録を連発し、水泳界に凄まじい衝撃を与えていました。
当時の特番インタビューや自著・手記において鈴木大地氏は、バーコフの脅威的な潜水に対抗すべく、血のにじむような無酸素トレーニングを重ねてバサロの回数を21回・約30メートルまで伸ばしたと振り返っています。迎えた1988年ソウル五輪・男子100メートル背泳ぎ決勝。バーコフが約33メートル潜ったのに対し、鈴木氏は計算し尽くされた潜水から浮上後、持ち味であった水上でのラストスパートを炸裂させて逆転。見事に金メダルを掴み取りました。
世界水泳連盟(旧FINA)が潜水制限の本格検討に入ったのは、まさにこのバーコフと鈴木氏による「過熱しすぎた潜水チキンレース」が直接の引き金でした。ソウル五輪直後の1988年11月、連盟はまず背泳ぎの潜水を「10メートルまで」に制限することを発表。しかし、現場のコーチ陣から「10メートルでは勢いがつきすぎて安全に水面へ浮上できない」と猛反発が起きたため、再検証を経て1991年に「15メートル」へと緩和・再制定されたのが歴史の真実です。