混沌と偏食に満ちていた貴族の食卓が、今日私たちが知る洗練されたガストロノミー(美食術)へと脱皮を遂げるには、16世紀以降の劇的な文化変革を待たねばなりませんでした。その震源地となったのがフランス宮廷です。
フランス宮廷料理の歴史の大きな転換点として語り継がれているのが、1533年、イタリア・フィレンツェの名門メディチ家からフランス王家へと嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスの存在です。当時のフランス宮廷は、肉の塊を手づかみで引きちぎり、骨を床に投げ捨てる野蛮な宴宴の姿を残していました。カトリーヌは自国の洗練された料理人や給仕人を伴い、料理ごとのソースの使い分け、アイスクリームやシャーベットの原型となる糖蜜菓子、そして何よりも「カトラリーを使った食事作法」をフランス宮廷に持ち込みました。
ここから貴族の食事マナーの歴史は急速な近代化を始めます。思想家エラスムスが著した『礼儀作法について』などの指南書が貴族層に普及し、フォークを用いて食事を口に運ぶ行為、スープを音を立ててすすらないこと、他人の取り皿に手を伸ばさないことなどが、「教養ある支配階層の必須条件」としてコード化されていきました。
17世紀後半、太陽王ルイ14世の治世になると、食事は完全に壮大な国家スペクタクルへと昇華します。ヴェルサイユ宮殿において、王が食事を摂る姿は「グラン・クーヴェール(大公開会食)」として貴族たちの観覧に供されました。王がワインを一口飲むだけでも何人もの従僕が複雑な儀礼を繰り返す徹底した規律は、貴族たちを儀式の中に組み込み、反乱の牙を抜くための政治装置でもあったのです。
18世紀から19世紀にかけて、スパイスの過剰な味付けは影を潜め、食材本来の出汁(ブイヨン)をベースにしたソース作りが確立されていきます。フランス革命によって宮廷お抱えの料理人たちが街へと職を求めて散らばったことで、宮廷の専売特許であった美食文化は「レストラン」という公共空間を通じて一般へと解放され、現代の西洋料理体系が完成していきました。