横田真之のキャリアを振り返る際、まず特筆すべきはその卓越したバッティング技術と状況判断能力です。名門・鹿児島実業高校で甲子園の土を踏み、東都大学野球の名門・駒澤大学野球部では首位打者を獲得するなどアマチュア球界屈指の外野手として名を馳せました。しかし、1984年のドラフト会議での評価はロッテオリオンズからの6位指名。下位指名という決して恵まれたスタートではありませんでした。
プロ入り後、その評価を瞬く間に覆します。ルーキーイヤーの1985年から1軍に定着すると、規定打席に到達して打率.300、9本塁打、51打点、17盗塁という鮮烈な成績を記録。当時、三冠王に君臨していた落合博満やリー兄弟ら強打者が並ぶロッテ打線において、俊足巧打の2番・3番打者として欠かせないピースとなりました。外野手としての守備範囲の広さと強肩も武器で、ベストナインやゴールデングラブ賞(現・三井ゴールデン・グラブ賞)を受賞するなど、パ・リーグを代表する外野手へと登り詰めました。
1993年シーズン開幕前には大型トレードで中日ドラゴンズへ移籍。星野仙一監督や高木守道監督のもと、セ・リーグの厳しい内角攻めにも対応するベテランの味を発揮しました。その後、1995年には西武ライオンズへ移籍し、同年限りでユニフォームを脱ぎます。実働11年間で積み上げた安打数は通算1148安打、通算打率.282。派手な本塁打バッターではなかったものの、常にチームの勝利に徹する玄人好みのプレースタイルは、対戦相手の投手陣から最も嫌がられる存在でした。