日常会話で「生粋の江戸っ子」を自称する人と出会うと、決まって引き合いに出されるのが「三代続いて初めて一人前」という不文律です。このハードルは決して後世の誇張ではなく、近世風俗を克明に記録した天保年間の随筆『守貞謾稿(もりさだまんこう)』や『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』などの古文書にも類似の記述が見られます。
通説とされる厳密な江戸っ子の定義では、以下の条件が揃って初めて「生粋」と認定されます。
- 本人だけでなく、父母、そして祖父母(三代)が神田・日本橋など「御府内」の町人地で生まれ育っていること。
- 産湯(うぶゆ)を神田明神などの水道の水(神田上水や玉川上水)で使っていること。
- 長屋住まいの町人階層(地主や武家ではなく、職人・商人・棒手振などの庶民)に属していること。
なぜここまで厳格な世代制限が課されたのか。その最大の理由は、当時の江戸が世界最大級の「超・移民都市」だったという江戸っ子の歴史と経緯に起因します。
徳川幕府が開かれた直後から、全国から出稼ぎ労働者や商人が流入し、18世紀中頃には江戸の人口は100万人を突破しました。町方(庶民)の男女比はおよそ「男性2人に対して女性1人(男約65%:女約35%)」という極端な男性過多社会でした。地方から流入した初代は国元の訛りが抜けず、地縁も浅い。二代目は江戸育ちであっても家庭内に田舎の風習が残る。地域共同体(町内)の規範を完全に身体化し、生粋の言葉遣いと美意識を身につけた存在として認められるには、どうしても三代(約70〜100年)の歳月が必要だったのです。