作家であり天台宗大僧正でもあった今東光の名を語る上で欠かせないのが、のちに天台寺の名誉住職などを務めた瀬戸内寂聴(得度前の筆名:瀬戸内晴美)との関係です。1970年代初頭、自らの不倫や情念の泥沼に苦悩し、世間から激しいバッシングを浴びていた彼女は、救いを求めて仏門を志しました。しかし、数々の著名な寺院や高僧に門前払いを食らい続けます。「世俗の小説家が気まぐれに出家を望むなど言語道断」という冷ややかな視線が支配的だったためです。
その絶望的な状況のなか、唯一その覚悟を受け止めたのが、岩手県平泉の中尊寺貫首を務めていた今東光でした。東光は彼女の情念の深さを「それだけのエネルギーがあるなら、仏道に転じれば大きな力になる」と直感的に見抜き、自ら身元引受人となって1973年11月14日、中尊寺にて得度式を挙行しました。「寂聴」という法名も東光自らが命名したものであり、「静寂のなかに澄んだ声を聴け」という深い祈りが込められています。寂聴が生前、記念館の談話や回顧録で「東光先生がいらっしゃらなければ、私は出家できずに命を落としていたかもしれない」と述懐した通り、二人の関係は単なる師弟を超えた魂の救済者と弟子の結びつきでした。
この深い人間洞察力は、文学の世界でも圧倒的な成果を結実させています。1956年、東光は茶聖・千利休の娘の純愛と殉教を描いた傑作歴史小説『お吟さま』で第36回直木賞を受賞しました。豊臣秀吉の理不尽な権力に屈せず、キリシタンとしての信仰と愛に殉じたお吟の凛とした生き様は、文壇で絶賛を博しました。自らも権力や俗世の欺瞞を激しく嫌悪した東光自身の強烈な美意識が、この作品には鮮やかに投影されています。