曙太郎が大相撲に残した伝説|若貴との激闘と激動の生涯を徹底検証

曙太郎が大相撲に残した伝説|若貴との激闘と激動の生涯を徹底検証

曙太郎が大相撲に残した伝説|若貴との激闘と激動の生涯を徹底検証の見逃せないポイントを一挙に解説しました。

2001年1月初場所後、曙は31歳で現役引退を表明しました。この引退劇の背景には、限界を超えていた肉体の悲鳴がありました。報道各社の取材や医師の証言によると、230kgを超える巨体を支え続けた両膝は変形性膝関節症に冒されており、担当医から「31歳にして関節は老人の状態」と指摘されるほどの重傷でした。土俵上では一切の痛みを顔に出さず戦い抜いた末の、苦渋の決断でした。

引退後は年寄「曙」を襲名し東関部屋の指導者として後進の育成にあたっていましたが、2003年11月、日本相撲協会を電撃退職。格闘技イベント「K-1」への参戦を表明し、世間に大きな衝撃を与えました。

この格闘技転向を巡っては、当時さまざまな憶測が飛び交いました。真相として関係者が語るのは、東関部屋の将来的な承継問題や後援会を巡る金銭的負担、そして自身が背負った巨額の債務問題です。しかし、それ以上に曙自身の中に「自分はまだ戦える、戦う姿をファンに見せたい」というファイターとしての本能と挑戦心が強く存在していました。2003年大晦日のボブ・サップ戦では瞬間最高視聴率43.0%を記録。その後も総合格闘技やプロレスのリングに上がり続け、全日本プロレスで三冠ヘビー級王座を獲得するなど、プロレスラーとしても確固たる地位を築き上げました。

山本 拓海
著者

山本 拓海

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。