秋田の強豪・明桜高等学校時代から、その長打力は全国に轟いていた。投手としても最速140キロ台中盤を投げ込む身体能力の高さを誇りながら、打者としての天性のリストワークと飛距離は当時からスカウト陣の間で群を抜いていた。プロ入り後も幾度となくチームを救う一撃を放ち、ファンにその非凡な才能を焼き付けてきた。
しかし、プロ野球の壁は決して低くはなかった。レギュラー定着へあと一歩と迫りながら、怪我や好不調の波に苦しんだシーズンも経験した。幾多の試練に直面しても、山口は愚直にバットを振り込み続けた。その原動力となったのは、名門校時代から培われた不屈の闘志と、チームの勝利を自らのバットで決定づけたいという強烈なエゴに他ならない。