江戸の銭湯において、現代のサービス業の原型ともいえる専門職が存在していました。それが「湯女(ゆな)」と「三助(さんすけ)」です。
江戸初期に登場した「湯女」は、もともと入浴客の背中を流したり髪を洗ったりする女性スタッフでした。しかし銭湯間の競争が激化するにつれ、湯女を多数抱えて酒食や遊芸を提供し、実質的な私娼窟(ししょうくつ)と化す店舗が急増します。幕府は風紀引き締めのため慶安年間(1648〜1652年)以降に湯女風呂を厳しく取り締まり、湯女200名余りを吉原遊廓へ強制移住させるなどして事実上解体させました。
湯女の追放後に銭湯を支えたのが、男性専門職である「三助」です。
三助の役割は多岐にわたり、単なる垢すり係にとどまりませんでした。
- 釜焚き(かまたき):木くずや灰の配合を見極め、湯温を一定に保つ過酷な重労働
- 湯加減・衛生管理:限られた湯の鮮度を維持し、浴室内の安全を確保
- 流し(あかすり・マッサージ):客の背中を洗い、筋肉をほぐす高度な接客技能
三助の「流し」技術は非常に洗練されており、指先の力加減や心地よい会話で常連客を魅了しました。三助は銭湯の経営を左右する看板スタッフであり、現代でいうカリスマ整体師やコンシェルジュのような高いステータスと職人技を誇っていたのです。