事件当時、ジャーナリズムもまたこの異様な家族の崩壊に鋭く切り込んだ。後に数々の傑作ノンフィクションを世に問う佐野眞一や、現場主義の調査報道で知られた本多勝一ら気鋭のジャーナリストたちは、事件を一過性の猟奇犯罪として片付ける世論に異を唱えた。彼らが活字を通して追及したのは、高度経済成長期の日本が盲信した「一流大学・一流企業」への強迫観念そのものだった。
メディアが描いたのは、外からは完璧に見える中流家庭の内側に潜む空虚さだ。父親は企業戦士として外で働き、母親は家庭内で子どもの教育に全存在を賭ける。そのシステムが破綻した時、家庭は一瞬にして密室の戦場と化す。当時のルポルタージュは、昭和の家族モデルが内包していた構造的欠陥を残酷なまでに白日の下に晒した。