19世紀から20世紀前半にかけて勃興した文化人類学は、サラ・バートマンの標本化に代表されるように、帝国主義的な植民地拡大と切り離せない共犯関係にあった。異文化をフィールドワークや測定の対象として客観化し、「未開から文明へ」という単線的な進化論に当てはめる行為は、人種差別的な支配構造を学問的に補強する役割を果たしてしまった。
この知的植民地主義に対する抜本的な見直しが始まったのは、第二次世界大戦後のことだ。国際連合教育科学文化機関(UNESCO)は1950年に「人種宣言」を発表し、生物学的な人種差別に科学的根拠がないことを公式に宣言した。以後の国際社会では、人類学が過去に犯した略奪と搾取への反省が進み、先住民族の権利回復や文化財返還の議論が急速に本格化していく。
サラ・バートマンの遺骨返還闘争は、その象徴的な試金石となった。1994年に南アフリカ初の黒人大統領に就任したネルソン・マンデラは、フランス政府に対して遺骨の返還を正式に要請。フランス国内での長い法廷闘争と世論の議論を経て、2002年、彼女の遺骨と標本は故郷南アフリカの地へと返還された。200年の歳月を経て行われた埋葬式は、奪われた人間の尊厳を取り戻すための歴史的な転換点となったのである。