朝霞駐屯地が練馬区大泉学園町に跨る理由と都県境の真相【徹底検証】

朝霞駐屯地が練馬区大泉学園町に跨る理由と都県境の真相【徹底検証】

朝霞駐屯地が練馬区大泉学園町に跨る理由と都県境の真相【徹底検証】の全貌を分かりやすくまとめてご紹介します。

地図アプリで朝霞駐屯地を俯瞰すると、外周を取り囲むフェンスの南側一帯が東京都練馬区大泉学園町九丁目に深く食い込んでいることが分かります。駐屯地全体の総敷地面積は約197万平方メートル(東京ドーム約42個分)に及び、行政区画上は練馬区・朝霞市・和光市・新座市の4自治体に分割所属しています。

なぜこのような広大な都県境跨ぎが発生したのか。その起源は1932(昭和7)年に開設された「東京ゴルフ倶楽部」の朝霞コースにまで遡ります。当時、名門ゴルフコースとして設計された広大な起伏地が、1940年に旧日本陸軍によって買収され、将校育成の拠点である「陸軍予科士官学校(振武台)」へと姿を変えました。この段階で、当時の東京府北豊島郡大泉村と埼玉県新座郡の境界を包含する広大な軍用地が一括形成されたのです。

終戦後の1945年、同地は米陸軍第1騎兵師団などに接収され、巨大軍事基地「キャンプ・ドレイク(Camp Drake)」となりました。当時のキャンプ・ドレイクは、現在の朝霞駅南側に広がる「ノース・キャンプ」と、現在の駐屯地および訓練場にあたる「サウス・キャンプ」に分かれており、南側区画の一部が練馬区側に突き出る形で維持されました。

1970年代にかけて米軍から日本政府へ段階的に全面返還された際、国有地としての一体性を保ったまま陸上自衛隊朝霞駐屯地として再編されました。その際、首都直下地震などの広域災害対処や関東・甲信越・静岡の1都10県を管轄する「東部方面総監部」の庁舎機能を東京都側に置く戦略的配慮から、公式の所在地住所が「東京都練馬区大泉学園町」として登録された経緯があります。

鈴木 陽菜
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鈴木 陽菜

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