映画への妥協なき情熱は、やがて莫大な経済的リスクとなって勝新太郎に降りかかります。1967年、大手映画会社のシステムに縛られず、自らが理想とする作品を自由に生み出すために「勝プロダクション」を設立。テレビドラマ版『座頭市』シリーズや『子連れ狼』シリーズ、名作『痛快!河内山宗俊』などを世に送り出し、日本映像界に革新をもたらしました。
しかし、勝新太郎の徹底した完璧主義は制作費の際限ない膨張を招きました。「本物の雨が降るまで何日も撮影を止める」「フィルムの残量を気にせず役者の感情が乗るまでカメラを回し続ける」「本物の小道具や美術を惜しみなく発注する」といった妥協を許さない制作姿勢は、制作原価を天文学的な数字へと押し上げました。その結果、1981年に勝プロダクションは莫大な負債を抱えて事実上の倒産に追い込まれます。
倒産後、勝新太郎は「借金は俺の財産だ。それだけ信頼されて金を借りられた証拠だ」と公言して憚りませんでした。この天文学的な負債は、後に妻の中村玉緒がバラエティ番組で再ブレイクを果たし、驚異的なペースで返済を進めるというもう一つの家族ドラマへと繋がっていきます。