ディズニーより狭い?バチカン市国の驚愕の大きさと誕生の歴史

ディズニーより狭い?バチカン市国の驚愕の大きさと誕生の歴史

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なぜイタリアの首都ローマの内部に、ポツンと独立国が取り残されたのでしょうか。この世界最小の国 理由を解き明かす鍵は、イタリア統一を巡る近現代史の摩擦と教皇権限の葛藤にあります。

歴史的に、歴代のローマ教皇は中世から19世紀後半に至るまで、イタリア半島中部に広大な「教皇領(教皇国家)」を保持し、世俗的な君主としても君臨していました。しかし、19世紀半ばに激化したイタリア統一運動(リソルジメント)の波に呑まれ、1870年にイタリア王国軍がローマを占領。教皇領は完全に消滅することになります。

当時の教皇ピウス9世は王国の占領を認めず、バチカンの宮殿内に閉じこもり自らを「バチカンの囚人」と呼びました。ここからイタリア政府とカトリック教会との間で、およそ60年に及ぶ断絶と冷戦状態、いわゆる「ローマ問題」が幕を開けます。

この泥沼の対立を終わらせた決定打こそが、1929年に締結されたラテラノ条約 歴史的経緯です。イタリアの首相ベニート・ムッソリーニと、教皇ピウス11世の代理人であるガスパッリ枢機卿の間で調印が交わされました。ムッソリーニ側は国内外のカトリック信徒の支持を取り付けてファシスト政権の正統性を補強したい政治的思惑があり、教会側は他国の干渉を受けない独立した信仰の自由と外交的発言権を欲していました。

教会側があえて広大な領土の返還を求めず、サン・ピエトロ大聖堂とバチカンの丘周辺のわずか0.44平方キロメートルのみを領土として受託したのは極めて戦略的な判断でした。「領土の支配」という世俗的重荷を脱ぎ捨て、主権国家としての形式的地位(使徒座の主権)のみを最小限の土地で確保することによって、どの世俗国家にも隷属しない絶対的な精神的権威を確立したのです。

木村 陽翔
著者

木村 陽翔

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。