古くから日本の食文化に根付く「香り松茸、味しめじ」という慣用句は、キノコの中で最も香りが優れているのはマツタケであり、最も味が優れているのはシメジであるという意味を持つ。この表現は江戸時代の料理書や随筆にも散見され、日本人が古来より季節の恵みを鋭敏な五感で選び抜いてきた歴史を物語っている。
だが、現代の食卓においてこの言葉には決定的な認知のねじれが生じている。一般に流通している「ぶなしめじ」はシモフリシメジ属やシロタモギタケ属に近縁な木材腐朽菌であり、ことわざが誕生した時代に絶賛されていた「ホンシメジ(Lyophyllum shimeji)」とは科のレベルから異なる独立したキノコだ。
かつて日本の市場では、ヒラタケの幼菌が「しめじ」の名で販売され、その後1970年代から80年代にかけて人工栽培が容易な「ぶなしめじ」が台頭した。1990年代以降、林野庁や公正取引委員会の名称適正化表示指導によって「ぶなしめじ」と正式表記されるようになったものの、消費者の脳内では「ぶなしめじ=ことわざのしめじ」という混同が定着してしまった経緯がある。
「香り松茸味しめじの続き」に隠された日本人の美意識
この名句には、地域や時代によって語り継がれてきた「続き」が存在する。最も広く知られている伝承では、次のように五感の美学が連なっていく。
「香り松茸、味しめじ、姿見るなら初茸(ハツタケ)、歯ざわり(食感)なら舞茸」
初茸(ハツタケ)は傘の文様と色合いの端正さから視覚の象徴とされ、舞茸はその名の通り見つけると舞い踊るほどの歯切れの良さから触覚の象徴とされた。日本の食文化は、単に空腹を満たすだけでなく、嗅覚・味覚・視覚・触覚を個別のキノコに割り振り、立体的な美意識として昇華させていたのだ。その頂点において「味の絶対王者」として君臨していたのがホンシメジであった。