物語の序盤、水上飛行機乗りたちが集うホテル・アドリアーノのレストランで、ジーナが客たちを前にフランス語で歌い上げるのが劇中歌「さくらんぼの実る頃(Le Temps des cerises)」です。このシーンの収録において、加藤登紀子は本職のシャンソン歌手としての卓越した表現力を遺憾なく発揮しました。
この楽曲は1866年にJ.B.クレマンが作詞し、後に1871年のフランス革命的自治政府「パリ・コミューン」の弾圧(血の週間)で命を落とした看護婦への献辞が添えられたことで、自由のために散っていった人々への哀悼の歌として歴史に刻まれました。初夏のさくらんぼが実る束の間の幸福と、それが失われた後の痛みや心の傷跡を歌った詩情は、これまでに3人の飛行艇乗りを夫として失い、それでも空を見上げ続けるジーナの過酷な半生と深く共鳴しています。
映画の冒頭、多言語で記されたオープニングクレジットの直後にこの歌声が響き渡ることで、観客は一瞬にしてファシズム前夜の不穏な気配と、それに対峙する自由人たちのエレジーへと引き込まれていく構造になっています。