『竹取物語』はおとぎ話としての「かぐや姫」として広まりすぎた結果、ネット上や一般の認識において重大な誤解が放置されている側面があります。その最たるものが、主人公である翁の出自と、この物語が書かれた政治的動機です。
竹取の翁には、竹取の翁 讃岐の造という明確な本名が設定されています。なぜ大和(奈良)を舞台にした物語で、四国の地名を思わせる「讃岐」を名乗っているのでしょうか。
古代史の研究資料によると、大和国広瀬郡散輪(さぬき)郷(現在の奈良県北葛城郡広陵町周辺)には、讃岐地方から製竹技術を携えて移住してきた開拓民が居住していました。翁は単なる貧しい木こりではなく、地方豪族や職能集団の長(おさ)をモデルにしたリアリティのある人物造形だったのです。
さらに読者の知的好奇心を刺激するのが、竹取物語 作者の真相を巡る古代ミステリーです。
『源氏物語』の「絵合」の巻で「物語の出で来はじめの祖(おや)」と称賛されながら、作者の名前は一切記されていません。現在、文学史上で有力視されているのは以下の知識人たちです。
・菅原道真(漢詩の大家・貴族社会への批判精神)
・紀貫之(『土佐日記』の作者・仮名文学の先駆者)
・源融(嵯峨天皇の皇子・貴族社会の裏表を知り尽くした風流人)
彼らに共通するのは、当時権力を握りつつあった藤原北家に対する反骨精神です。作中に登場する5人の求婚者(石作皇子、車持皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂足)は、壬申の乱で功績を挙げた実在の藤原氏一族や高官たちがモデルであることは定説となっています。彼らが難題に挑んで無様に失脚していく姿を描いた『竹取物語』は、時の権力構造に対する痛烈な風刺文学という危険な裏の顔を持っていたのです。