なぜ人間は有史以来、「Life and Death」という二項対立に思索を巡らせてきたのでしょうか。その深層には、単なる生物学的現象を超えた死生観の真相と哲学的な探求が存在します。
古代ローマの哲学者セネカは「死を恐れる者は、生きているとは言えない」と説き、古代から中世にかけての西洋社会では「メメント・モリ(死を想え)」の警句が人々に生のはかなさと神聖さを喚起させました。さらに20世紀の実存主義哲学において、マルティン・ハイデッガーは人間を「死への存在(Sein-zum-Tode)」と定義しました。死という絶対的な終わりを自覚することによってのみ、人間は世間に流されない「本来的な自己の生き方」を選び取ることができると主張したのです。
一方で、東洋・日本の伝統思想に目を向けると、仏教の「諸行無常」や禅の「生死一如(生と死は不可分の一体である)」という捉え方が根底にあります。生と死を明確に切り離す西洋的二元論に対し、東洋思想では死を生の延長線上にある自然な循環として受け止めてきました。
古今東西の生と死に関する哲学の名言を紐解くと、共通する決定的な真理が浮かび上がります。「死」という不可避の終着点を意識するからこそ、限られた「生」の時間が輝きを増すという点です。これが、「Life and Death」という言葉が持つ最大の哲学的真意にほかなりません。