現在STARTO ENTERTAINMENTで屈指のボーカリストとして活躍する京本大我ですが、芸能界入りのきっかけは、一般的なオーディション応募ではありませんでした。小学6年生の当時、家族旅行で訪れていたハワイの飲食店に飾られていた記念写真に、偶然店主と一緒に写っていた京本大我の姿をジャニー喜多川氏が目撃。その類まれな美少年に目を奪われたジャニー氏が、親交のあった京本政樹へ直々に「この子を預かりたい」と電話を入れたことが、すべての始まりでした。
芸能界の厳しさを誰よりも知る京本政樹は、当初息子の芸能界入りに慎重な姿勢を示したと当時の手記やインタビューで振り返っています。しかし、KAT-TUNのコンサートを見学した大我が自らの意志でステージに立つことを決断。こうして2006年5月に入所を果たしました。
入所後、周囲からは当然のように「大御所俳優の御曹司」という色眼鏡で見られることになります。当時のジュニア(旧ジャニーズJr.)現場を取材した関係者によると、大我は「自分の実力ではなく、父親の名前で仕事をもらっていると思われたくない」と強く思い詰め、自らの口から父親の名前を出すことを頑なに拒んでいたといいます。雑誌の公式プロフィールや番組出演時でも、父・政樹の話題は一切NGとする時期が長く続きました。
「京本政樹の息子」という肩書は、芸能界において強力な武器であると同時に、本人の努力や実力をすべて「親のコネ」として片付けられてしまう呪縛でもありました。その重圧を跳ね返すため、彼はダンスレッスンやボイストレーニングに誰よりも打ち込み、自力でポジションを勝ち取る道を選んだのです。